文法的機械
(番外編その2)
計算機環境を利用した英文作法指導の試みに関する
極めて私的な報告
Part 2
法学部 英語担当教員 原田 康也
ここ数年、法学部の英語教育の枠の中で、そのカリキュラムの主旨に即した範囲での個人的な試みとして、英作文指導に際して、ネットワークに接続されたパーソナルコンピュータの設置された教室を利用して、英文ワープロや電子メールを学生たちに実際に使わせての作業を取り入れている。その主旨について改めて考え直してみると、
[1] や [2] などで紹介している通り、語学教育と情報教育の統合化をめざしているということになりそうなのだが、その過程での経験やそれらに関連して考えるようになったことなどについては、まだ [3] などで部分的に口頭で発表したにとどまっている。論ずべき課題は錯綜しており、検討すべき問題点も多いが、ここではとりあえずやってみてわかったことを報告することから話を始めてみようと思う。あらかじめ断るまでもないことかもしれないが、ここで書き記すことは教育実践報告にもならないような個人的な印象の断片にすぎない。ましてや、統計的な裏付けのある教育学的な考察ではない。あえて統計学的な言説を弄するとすれば、1学年1000人を越える法学部の学生のなかで、
93 年度以降に筆者の担当する英作文は1クラス20名ないし40名程度の登録であり、いずれも選択ないし、必修選択として受講していること、しかも、科目登録に先立って配布される講義要項ないし受講案内において、授業の内容、受講の条件などを示した上で科目登録希望を出していることから考えると、筆者のクラスの学生をもとに法学部の学生の全体像を推し量ることはそもそもあり得ないことであり、かつまた法学部の学生の全体像を考えることから筆者のクラスの授業内容を構成することが有益であるとも思えないわけである。ここではこうした無用な数値計算にふけるよりも、筆者の個人的経験と感想をただそのまま書き連ねるにとどめる。大学での外国語教育に計算機ネットワークの利用を検討している語学担当の教員の方々に対して、肯定的であれ、否定的であれ、何らかの示唆を与えることがあれば幸いである。ここでの経験と感想から、大学における英作文教育の在り方、法学部の英語カリキュラムについての提言をすることもできるが、これについては別の機会に論じたいと考えている。
また、語学教育を目的としたマルチメディア教室のあり方についても、稿を改めて詳しく論じたい。なお、本稿は1994年夏季休業期間前後に書き散らした草稿を元に1995年度夏季休業期間中に筆者がスタンフォード大学言語情報研究センターを訪問中に書き起こした原稿を1996年4月に修正したものである。時間的経緯について必ずしも詳細な記録に基づいて記述しているのではないので、特に1990年以前のことについては、思いこみや記憶違いによる誤解があるかも知れないことを、関連する記述に重複が多い点とともに、あらかじめお断りしておきたい。法学部では10年ほど以前にカリキュラムの一部変更を行い、また3年ほど前に再度の修正を行った。基本的方向としては1、2年で毎週で2コマずつ必修のクラスを受講させていたものを、できるだけ選択必修に切り替えること、選択必修の科目については総合英語、表現演習、口頭表現演習などの種別を行い、受講生が各自の興味に従って総合的に英語力を身につけられるようにすることという2点が主眼である。その具体的内容については、英語担当者の間で公式、非公式に議論が継続しているが、英作文においても学生たちの期待に応えようという努力が続いている。このカリキュラムにかかわる議論はまた別稿で論じているが、英作文において計算機を使用するという試みは、大学における英語教育の目的や方法と関わっている。
すでに
[1] において断片的に書き記しているが 、筆者が自分で計算機ネットワークを日常的に利用するようになって以来、実験的に、あるいは試行的に、あるいは本格的に、担当している学生たちを端末室に連れていって、キーボードからの英文入力・編集作業や電子メールの利用法などを教えてきた。ここでは、若干繰り返しとなる面もあるが、これまでの授業経験を簡単に振り返っておこう。1989年の秋に、たまたま法学部のある必修英語クラスの学生数が10人程度であって、これぐらいの少人数ならなんとかなるかなと思って年度の終わり、年末年始のあたりに学生を端末室にゲリラ的に連れていって
BITNET の使い方を教えた。情科センターのセミナーに出て説明を聞いたときの印象、また実際使った経験からいって、BITNET の使い方は(操作はある意味で簡単だが)概念的に理解することがかなりむずかしく、キーボード操作経験やパソコン使用経験のない学生に使わせるにはかなりの準備がいるであろうと予想できていたので、30人などという規模の学生を相手に端末操作の説明をしようなどとはそもそも思っていなかったのである。年度の初めから、通常の授業に加えて、2、3週間に一度簡単な英作文を宿題として提出させていたので、最後の宿題を BITNET を使って提出するように指示したが、学生たちは混乱を極めていたようであった。通常の教室でとりあえず時間を切り詰めながらいつもの授業内容をすませ、短い時間の中でキーボード操作の基本、パソコンの使い方、BITNETの使い方などを説明しただけで端末室に移動して実際に使わせてみたが、何をやっているのかわからないまま、とりあえず言われたとおりキーボードを叩いているという印象だった。たまたまそのとき欠席した学生などもいたので、その後数回週末などに学生たちが来るという時間帯に9号館端末室に付き合って、英作文の添削も兼ねて BITNETの指導となった。いくら少人数といっても、資料などあまり準備もせず、ただ通りいっぺんの機械操作方法の説明をされても、学生には使い方すら理解できず、ましてやなんで英作文を電子メールで出すのか、その主旨も理解できなくて当然であろう。とりあえず、学生が BITNET を使えるように指導することの方が、自分で使えるようになることより100倍ぐらい難しいという当たり前の事実の確認をしたという程度の実験と自己満足であったといえよう。しかし、多少の無茶はあってもこのとき学生を強引に端末室に引き連れていったことがきっかけとなって、法学部の学生にただ計算機を使えるようにするために計算機の使い方を教えるのではなく、学部のさまざまな学科目を学んでいく道具として利用させるために計算機の使い方を教えるためにはどのような準備が必要か、そのための教室環境としてどのようなことを考えなければならないか、また通常の学科目を学習していく上で計算機を利用することにどのような意義があり得るのか、などなどについて、さまざまに考えるようになったことも事実である。このときの経験からわかったこととしては、
[2] で簡単に触れているが、一言でいえば学生たちがまだまだ計算機を使える段階に達していないということ、また、当時の計算機が、まだまだ法文系の学部学生が日常的に使う道具になっていなかったということである。例えば、パソコンはともかくワープロなどならさわったことがあるだろうと考えていたが、電源を入れるのもおっかなびっくりのわりには、ちょっと困るとすぐに電源を切ってしまうとか、フロッピーディスクといってもよくわからないということがわかった。また、パソコンの操作を説明しようとしても、キーボードに慣れていないと、とりあえずコマンドを入力する事すらできない、それだけにキーボード練習が重要であり、英作文に利用するという本来の目的からもタッチタイプの練習に十分な時間をかける必要を痛感した。前年度の終わり頃に情科センターから案内があり、法学部の語学のクラスでも24号館端末室を専有使用できることがわかったので、必修英語のうち一クラスが少人数だったので、またまた端末室に引き連れていってみた。とはいえ、端末室でずっと授業を展開するというのではなく、授業時間のうち何回か、前期に数回、後期に数回専有使用して、機械の使い方と
BITNETの使い方を練習した。前回の失敗に懲りて、比較的十分な時間をとって、計算機を使うとはどういうことか、計算機とはどういう機械であるのか、何のために英語の授業で計算機を使うのかという話を比較的たっぷりとした。また、前年度の経験から、いくつか用意したことがある。まず第一にキーボード操作の練習にある程度たっぷり時間をかけることにした。といっても、数回の授業のうち40分もキーボード練習に使うと、学生たちは飽きてしまうし、教えている方もうんざりしてくる。コンピュータとは何かという説明を織りまぜながら、20分ぐらいの練習を2、3回して、あとは自習にまかせるしかない。前年度にタイプ練習の説明をしようとして、ホームポジションの説明から入ったところ、機械にインストールされていたタイプ練習プログラムの進行とつじつまがあわずに、うっとおしい思いをした。当時よく見られた市販のタイプ練習ソフトは、タッチタイプの基本であるホームポジションの練習をなおざりにして、無意味な綴りをとにかく早く打たせるような練習が多かった。これではコンピュータを使うためにも、英語で文章を綴るためにも、日本語で文章を書くためにも結局は役に立たず、練習のための練習にしかならない。まだ大学院生だったころ、
BASIC の練習半分、遊び半分で作ったタイプ練習プログラムがあって、情科センターがインストールしていたものよりはましだったので、これを使うことにした。これはタイプ教則本の初めの数ページにあるようなホームポジションの練習だけにしぼったものである。次にパソコンの仕組みと操作について、
MS-DOS の基本についてわりあいゆっくりと教えることにした。前回はできるだけ省略して BITNET をとりあえず動かせる範囲に説明をしぼったが、かえって何をやっているのかわからない印象を与えていたことを反省したのであるが、ファイルとはなにか、ファイル一覧の見方、ファイルの中身ののぞき方、ファイルのコピーの仕方といった基本操作について若干の時間を取って説明して、計算機の基本的な仕組みについてある程度の理解を得られるように心がけた。計算機システムを使っている、という印象を明確に与えようと考えたわけである。 また、スタンドアロンでも英文を綴って打ち出すという程度のことはできるようにと、エディタとしての mifes の使い方と、一太郎の使い方を簡単に説明した。英文ワープロソフトやスペルチェッカーの使い方を具体的に教えたかったのだが、当時は情科センターの端末室にはこうしたソフトが正規にインストールされていなかった。unix 上の基本的screen editor である (N)Emacsの tutorial をまねて文書ファイルとしての一太郎チュートリアルを作ったのだが、翌年度に在外研究に出たりしたためもあり、授業の中では使わないままだった。後期の授業数回を使って、
BITNET の使い方を説明した。コンピュータ・ネットワーク、ホストと端末の関係、端末の操作、ホストコンピュータシステムの操作、エディタの操作などの概念的区別を強調したが、時間の関係もあり、また全体としてコンピュータシステムの授業をしているわけではないこともあり、うまくいったとはいえないだろう。とはいえ、事前に MS-DOS レベルの操作には慣れていたこともあり、前年度に比べれば学生たちの飲み込みはよかったと思える。文科系の学生にコンピュータの利用を教える場合、とりあえず操作だけを教えようという方向になりがちだが、計算機という道具がどういう仕組みで動いているのかわからないままに操作を教えるのが適当であるかどうかは難しい問題である。認知モデルの観点からすれば、可能な限り概念的な理解が得られるようにすべきであるが、実際には限られた時間の中でどのような優先順位をあたえるかの問題となろう。端末室で英語の授業をやるということに対して、学生の側は違和感が強いようだった。エレベータの中でたまたま乗り合わせた法学部の学生たちが「何の授業?コンピュータ?」「ううん、英語!」「え、何?」「英語」「英語?」とかいう会話を交わしていたものだった。また、語学の教員がカリキュラムなどについて打ち合わせをする会議の場でこうした話題を持ち出しても、その主旨について理解を得ることすら難しかったであろう。講義要項に「端末室を利用して英文ワープロと電子メールを使う」などとうたって登録希望者が十分集まるような状況は、ほんの数年前にはとても想像できなかったのである。
なお、この年度もまた、端末室を利用したのは英作文のクラスではなく、必修英語、すなわち総合英語のクラスであった。これは10人を越える人数を端末室に引き連れていくことは無謀であろうと考えていたからでもある。機械の使い方を教えることを授業の中心とはいわないまでも重要な部分として扱える授業ならまた話は別だが、あくまでも英語の授業の中で、その授業を進めるための道具として計算機を使わせることを考えると、機械操作の説明については、LL教室を使う際にテープレコーダ類の操作について説明する以上の時間をかけるのは適当でないという考えであった。
なお、1990年度には選択必修の英作文の授業を1クラス年度途中で急遽担当することになった。これ以前から、一文単位の和文英訳でない、本来の意味での英作文の教科書、参考書をいろいろさがしたのだが、なかなか適当なものが見つからなかった。アメリカの高校生、大学生を対象とした
paragraph writing や essay writing の教科書や参考書は若干手にはいるのだが、内容的にも、扱っている素材も、それまでまとまった作文の練習も、英語で文章を書く練習もしていないように見受けられる法学部の1、2年生を対象として扱うには難しすぎた。この英作文のクラスでも、前任者が指定した教科書との関係もあり、十分な内容展開はできなかったが、とりあえず paragraph 単位の essay writing を毎週課して添削したり、一文単位の構文的な話は早めに切り上げて、パラグラフの中の文と文の関係という立場からいろいろな説明を重ねていくというような試みを行った。2年間にわたる在外研究から帰ってみると、情科センターの
AB ルームの PC に WordPerfect がインストールされていた。自分では使ったことのないソフトだったが、アメリカでは(人文社会科学系の学者も含め)かなり広範囲で使われている標準的ともいえるワープロソフトなので、学生に使わせても不適当ではないであろうと判断して、随意科目の英作文の授業で取り入れることにした。このとき初めて、端末室での英語の授業と英作文が直接の関わりを持ち、また講義要項であらかじめそうした内容を示唆したのであった。WordPerfect は自分では使ったことがなかったが、情科センターの方で簡単な利用案内のパンフレットを用意しているのだろうと期待していたのだが、学生用の資料はいっさいなく、ソフトに添付のマニュアル類は使いやすくなく、また日本語ワープロとは違って操作法についての市販の本もあまりなかった。こちらも WordPerfect の使い方はほとんどわからないまま、ワープロとして当然備えているであろう機能を順次説明しながら help で実際のキー操作を確かめながら教えるような状態であった。
科目登録の段階では25名程度の受講生であったが、半分を超える4年生が前期の間に就職活動で顔を出さなくなり、単位を取得するにいたったのは、後期になって復活した約1名の4年生を含めて5名前後であった。当初の目論見としては、LL教室か少なくともビデオの使える部屋と併用して、作文の素材をビデオで見せ、さらに雑誌の記事などを読ませた上でその内容についての議論を書かせるつもりだったが、教室の手配が十分うまくいかず、初めの内はふつうの教室で手書きの作文を書かせて添削し、
paragraph writing に多少慣れてきた段階で順次端末室に移って機械の使い方を教えているうちに受講者が減ってしまった。やはり、機械を使うことを前提にするなら、初めから(短い時間であっても)機械に触れさせる必要を感じた。前期の半ば頃からは結局端末室でずっと授業をするようになったが、
WordPerfect の使い方に慣れてもらいながら簡単な作文練習をするという趣で、英語で議論を展開するという本来の主旨に基づいた作文練習の具体的中身の展開は十分できなかった。後期になってからは、
BITNETの使い方を教えた上で、作文の提出に利用して、添削して返却したり、 network 上を流れているニュースを学生に示して、それについての要約や感想をメールで書かせるというような練習も行った。 BITNET を利用してNorth Carolina で日本語を学習中の学生と文通してもらったが、学生たちは新鮮な印象を受けたようである。しかし、何をするにしても組織だっておらず、それぞれの作業についての目的意識も、詳細にわたって具体化されているとはいえない不十分な状態であった。最後まで授業に付き合ってくれた受講生が少人数いたことが唯一の救いといえる。BITNET に関しては久しぶりだったので自分自身も機械操作がわからなくなっているところがあったが、これまたパンフレットがないということで若干苦労した。特に、CMS と MS-DOS でファイルを交換するやり方がわからず、前期で学んだ WordPerfect と後期で学んだ BITNET が有機的に関連しないのが惜しかった。
計算機を使うために計算機を教えるのではなく、大学の本来の教科課程に即した形で計算機を使うことを覚えてもらうことの重要性、またそのための教材が不足していることをますます強く認識するようになってきた。
WordPerfectや BITNETは日本国内ではあまり一般的でないソフトなので、市販の参考図書がないのはやむをえない面があったが、それとは別に、計算機の入門以外の目的で計算機を使わせようというとき学生が読んで役に立つ参考書、学生に読ませたくなる資料の類がほとんどないことも初めてわかった。英作文そのものの教材も従来から探していたのだが、このころから多少は使えそうなものが目についてきた。和文英訳でない英作文の教材の数が増え、内容的にも多少は使えそうな感じになってきた。「情報発信のための英語」などという標語が目に付くようになってきたころでもある。
法学部の学生に対して、資料に基づいて議論を展開する文章を英語で構成する具体的な方法論
--- 資料の探し方、引用の仕方、文の書き方、段落の書き方、議論の構成のし方 --- を、そこで必要となる機械操作の方法も含めて教えたいというそもそもの目的が間違っていなかったことを自分なりに再度確認した上で、もう一度英作文を端末室で教えることにした。今回はいろいろな都合もあって、自由科目(随意科目をこう呼ぶようになった)と必修選択の科目を一つ担当することになった。機械の使い方に関しても、英作文の構成法についても、独自の資料を作る必要を強く感じていたので、まだ前年度のうちに、年があけたあたりから教材作りを始めた。パソコンに英作文指導のアイデアをメモとして入れていく。また春休みに西海岸に出張に出たついでに英文構成法についての教科書や機械の操作法についての本も探してきた。結果的には、そのとき見つけたWordPerfect についての参考書は授業の中では利用せず、作文の課題一覧、タッチタイプのパンフレット、ワードパーフェクト入門、ワードパーフェクト中級、BITNET入門、英作文の原理と方法などの資料を作り、学生たちにもソフト添付の分厚いマニュアルよりわかりやすいと好評であった。次年度も再利用するつもりでいたが、情科センターの計算機環境が変わり、使えなくなったのは若干残念ではある。学年が始まってみると、昨年度の選択科目の英作文でこちらの意図した内容が展開できず、自分としても納得がいかなかったにも関わらず、選択必修科目は登録者が定員まで集まり、自由科目については登録者が45名程度で端末室で授業を展開するにも、一般の教室で授業を展開するにも、また毎週作文を課して添削するにも多すぎる人数となっていた。実際には、自由科目の登録者は半分以上が4年生で、就職活動のため前期の授業に出られず、そのため後期から参加することも難しく、授業に出席しているのは5月からは半分程度、後期には10数名とほどよい人数に治まった。選択必修のクラスも、後期半ばぐらいの段階で2割ぐらいの学生が脱落したが、学年はじめにとったアンケートをざっと眺めたところ、大部分の学生がコンピュータを使った経験もほとんどなく、電子メールなど噂を聞いたことがある程度で、英作文についても和文英訳の練習すらしたことがないという状況であったことを考えると、厳しい課題を毎週課していたわりには脱落が少なかったと考えている。
前期は
paragraph writing の実践練習と WordPerfect のきわめて基本的な使い方の練習に中心をおいた。ビデオなどを見たりできるように、LL教室や一般の語学用教室で毎回の授業を開始し、paragraph writing の基本に関する一般的な説明をしたり、句読点の使い方に関するビデオ教材を見たり、あるいは英作文の素材として英語の報道番組を見たりしてから端末室に移動した。端末室ではパソコンの使い方、キーボードの使い方、WordPerfect の使い方についての基礎的事項を練習しながら、あらかじめ用意した身近な話題に関するテーマに基づいて200語程度の作文を授業時間中に WordPerfect で書き上げてプリントアウトを提出してもらい、添削して返却してはまた書き直してもらう。次の週になると、あらたな作文とともに前回返却した作文を書き直したものをまた提出してもらい、さらに添削して返却する。学生の方も学期の終わりには毎週4、5本の作文を書き直したり新たに書いたりして忙しかったが、添削する方も一人なので、時間との戦いになった。とはいえ、つまらないつづりの間違いなどはあまり気にしなくてよいし、なにより手書きに比べれば格段に読みやすい。また、学生の側も、ワープロでの修正なので何度も書き直させられてもそれほど不平を感じなかったようである。むしろ、せっかく書いたものを提出しても、忙しくてあまり赤を入れられなかったときなど非常に不満そうにしていた。これは、従来の作文の返却の時とまったく違った態度である。タッチタイプの練習については、タイプクイックという一般的なソフトが端末室にインストールされていたので、これを利用することも考えたが、起動にあたってフロッピーディスクをフォーマットする作業をあらかじめ行わなければならないこと、練習の履歴をフロッピーディスクに残すために、氏名を入力しないと練習を始められないことから、
MS-DOS やパソコンの使い方にある程度慣れ、キーボードの配置もある程度覚えた段階でないと、使うための準備に意外と手間取るしかけになっていた。前期の間は機械操作に関しては WordPerfect の使い方に話をしぼり、毎週実際に200語程度の作文を書くことと、paragraph writing の基本について練習することを中心としたかったこともあり、また日本語入力のための練習をするとかえって英文タイプとしては妙な習慣をつけかねないので、初めから WordPerfect の起動の仕方を教えて、その中でホームポジションの練習をするという方針で臨んだ。WordPerfect については、研究室の貸与パソコンにインストールしてあったので、学年が始まる前に操作の基本に関する補助教材の準備を始めた。といっても、いままでの経験から、英作文の授業にとって最低限必要な操作に絞り、1ページ1項目の体裁でそのページだけ見ればその操作が可能で、関連することがとりあえず書いてあるという形式にした。初めの段階ではPCの起動と電源の切断、初期メニューからのWordPerfect の選択と WordPerfect の終了、文字の入力と削除、プリントアウト、ファイルへの保存とファイルからの読み込みなどである。また、ワープロやパソコンに慣れてしまうと何でもなく感じて、わかりやすい説明をするのが意外にむずかしいことがらとして、文字の入力と削除の基本についての説明もある。入力に関しては、文字以外の改行やタブも計算機内部では文字と同様のコードであること、改行キーは本来は改行の入力ためにあること、パラグラフの初めを字下げするのに Tab キーを利用できることなどなどを説明した。後退キーと削除キーの動きの違いなども、慣れるとなんでもないことだが、その場で実際に動かしながら説明しないとわからないことではある。
ワープロの基本的な操作に学生が慣れ、毎週200語程度の作文を一つずつ新しく書き、それまでに提出した作文の添削に応じて修正して再度提出するなどの作業が順調に進行し始めたころにスペルチェックやワードカウント、類義語辞書などの機能を紹介した。
DOS version の WordPerfect に備えられている類義語辞書の機能はそれほど使いやすくなく、学生が十分に使いきっていたかどうかはわからないが、そうした機能があること自体は楽しんでいたようである。スペルチェックに関しては、多くの学生が簡単な単語の綴りも正確には覚えておらず、チェックをするとかなりの間違いが拾える場合が多かった。あとでタイプミスをチェックできるということが気軽にキーボード入力をするということを促し、また担当者としてもつまらない綴りのミスを見つけて修正することに時間と神経を使わなくて済むという点で非常に役にたった。単純に考えると、スペルチェック機能があると綴りを覚えないのではないかという誤解をしがちだが、そもそも学生は英語で文章を書く機会も習慣もないために、たまに英語で文章を書くと綴りも、構文も構成もめちゃくちゃな文章を書くのであり、そうした機械的なミスに関する負担を取り除いて、より気軽に英語を書く環境と場を与えることの方が教育的に重要であると考えている。電卓があると四則計算や暗算ができなくなるとか、ワープロがあると漢字を覚えない、忘れるという議論があるが、新幹線があるために東京と神戸の間を歩いて往復しなくなったというのと等しい議論に思えることがある。単語の綴りを覚えることが重要か、文章を構成する方法を修得することが重要か、まずその点を確認する必要があるだろう。1パラグラフの文章から、もっと長い議論を構成する段階になると、多少は編集機能を覚えなければワープロを使う意味がなくなってしまう。カーソル位置での文字の入力削除に関わる操作から、指定範囲の削除・移動・復活・複写などの操作に範囲を広げ、さらに若干のファイル操作の説明も加えて、ワープロとして一般に備えている機能の説明と
WordPerfect におけるキー操作をまとめた資料を用意した。文字などの入力・削除とワープロに対するコマンドとを概念的に区別することを強調したつもりであるが、学生にとってはわかりにくかったかもしれない。一般に専用ワープロ機はコマンドを特別のファンクションキーに割り当てる傾向があり、コンピュータに慣れたキーボードの達人から敬遠される一因となっているが、文字入力とコマンドを同じキーボードから行うというのは初心者には混乱の元となっている側面がある。Windows になると、文字入力はキーボードから、コマンド入力はマウスを使ってという機能分化も考えられるので、能率は別として、概念的区別は把握しやすくなるかもしれない。後期には
BITNETの使い方を練習した上で、課題の提出や出欠の確認、グループ学習の進行状況の報告などに利用した。また、英作文の課題としては、グループに分かれてテーマを定め、WINE も利用して文献検索を行い、参考資料の内容をメモにまとめ、それに基づいてグループとしての意見を共同で英文にまとめるという作業に取り組んだ。BITNET については、CMSへの LOGON と LOGOFF を数回練習してから mailer の使い方の説明に入るという具合に、それぞれのソフトの使い方ごとに、まず全体の起動と終了を何度も練習してからソフトの中で使うコマンドの説明に入った。いつも通り、自分宛のテストメールを送り、隣の人間とメールの交換を行い、担当者宛にメールを送るという順に練習を進めていく。課題の提出や出欠の確認などにも利用したが、授業全体の進め方とはあまり関連させず、あくまでも興味を持った学生が希望する場合、アメリカの大学で日本語を学んでいる学生などを紹介して文通するなど、英語で文章を綴ることに興味を持ってもらう仕掛けとして利用していた。また、ヨーロッパと電子メールのやりとりをしてみたいという希望もあったので、在外研究の時知り合ったチェコの文学研究者を紹介したりもした。
グループ作文に利用する教材については、内容的に非常に詳細だが、簡略に扱えば法学部の学生でも興味を持ってもらえそうなものが夏休み前後に見つかったので、一部を利用してみた。また、共同行為としての英作文という視点から、文章作成の方法論をまとめた補助教材を作成して配布した。授業中の課題としてはグループにわかれ、テーマを選び、文献を調べた上で自分たちなりの議論を展開するというものであった。最終的にはグループ間で相互に批評しあって書き直すというところまで進めたかったのだが、後期の授業期間中にそこまでたどりつくことはできなかった。しかし、学生たちは慣れない作文や、慣れない読書に戸惑いながらも、グループ作業を楽しんでいたようだった。
文献検索についても簡単な資料を補助教材として用意したかったのだが、後期になって予期せぬ役職に就くなど、多忙さが限界を超えてとてもできなくなってしまった。そのかわり、学生たちがいろいろな作業をしている合間に、グループごとに個別に何度も
WINE の使い方を説明して回った。英作文については、身近な話題に関するテーマを与え、関連する基本的な語彙を復習しながら連想ゲームによって関連する英単語を拾い上げていく練習、ビデオを見ての簡単な記述、話題についての短いエッセーといった項目から成る補助教材を用意していたのだが、授業を始めると機械の操作やソフトの使い方の説明などでそれなりに時間をとられ、教科書として指定した素材を消化する時間も多少足りない程度だったので、話題についての作文の宿題として与える以外は使わないままだった。
この年採用した英作文の教科書は期待はずれだった。扱っている項目は
paragraph writing の内容として常識的で適当なのだが、練習の内容が不適当で、教材としては結果的に使いものにならなかった。年度の終わりに翌年に向けて調べてみると、類似した項目を扱うものがどんどん増えており、また内容的にももっと適当なものが数多く見られるようになってきた。ただし、英作文について、資料の求め方、引用の仕方、パソコンやワープロなどハード・ソフトの利用の仕方、グループ作業の仕方などを含めて総合的に取り扱っている教材は現在でもまだあまり見受けない。ビデオが見せられるようにLL教室などを確保して前半は通常の教室で教科書に関連した練習などを行い、途中で端末室に移動して実際に作業を行うようにしたが、学生たちはもっと機械を触りたいと希望していた。後期からは基本的に授業時間全部を端末室で過ごすようになってしまった。端末室の近くに英語の授業を展開しやすい教室があるか、端末室自体がもっと授業を展開しやすい作りになっていればよいのだが、という感想をますます強くした。
英作文とは直接関係ないが、この年から法学部の一般教育科目(言語学)の授業を(後期だけ)初めて担当して、レポート提出に際してワープロの使用と3度にわたる原稿修正を求めた。結果としてのレポートを評価するのではなく、レポート作成の過程を教え、その過程を評価の対象としたかったのだが、書き方について事前に具体的な説明をする余裕がなく、必ずしも満足できる結果を得られなかった。
この年度もまた継続して必修科目1クラス、選択必修科目1クラスで英作文を担当している。今回は情科センターの機器構成、ソフトウェア、ネットワーク環境などが全く変わった点が最大の課題である。
Windows の上で MS-works を使うというのを基本として、そこに電子メールの利用が加わる。前期の間は
paragraph writing についての比較的しっかりした教科書が見つかったので、とりあえずその内容に沿って練習を進めるとともに、毎週200語程度の作文を提出するという作業を行っている。電子メールの使い方について練習してからは、教室でビデオを流せることがわかったので、法学部視聴覚教室で用意してもらった英語のニュースを持ち込んで、一通り眺めてもらってから、そこで見た話題とそれに関する感想をメールで送るということから毎回の授業を始めるようになった。後期になってからは、ニュースのビデオだけでなく、アメリカ出張に際して購入してきた博物誌的なビデオを見せてその内容についての感想などを書いてもらったりもしている。グループ作文も昨年と同様に始めたが、相変わらず役職で忙しく、十分な指導や添削ができないのが最大の課題である。
24号館の端末室はその名の通りコンピュータに関する実習を行うために用意された部屋である。24号館が建った当時は、計算機の利用の仕方はホストコンピュータに端末機がぶらさがるという形が主流であったのだが、今日ではワークステーションでネットワークを構成し、さらにパソコンなどが
LAN を通じて接続されるという利用形態が主流となっている。コンピュータの授業に関しても、24号館の教室が設営された当時は、講義は講義室で行い、実習については端末室で学生がもっぱら自習として課題に取り組むという学習形態を想定してた。そのため、端末室ではその場で授業を展開するデザインにかならずしもなっていない。例えば、実際にその場で教える立場としては、学生の後ろ側に位置すると、どのパソコンがこちらの意図する動作をしていないか一目でわかるので具合がいいが、そうした点をうまく取り込んだ教室配置になっていない。また、語学の授業を展開する上では、例えばビデオを提示する設備が不十分だったり、音声を流す装置が不適切だったりする。とはいえ、パソコンの操作を説明するのための設備はある程度整っている。たとえば、教師用の機械を正面と上からカメラが捉え、切り替えて学生用のテレビに出力できるので、ホームポジションとはどのようなものか、
ESC キーや TAB キーなどの特殊キーがどこにあるか、などなどの説明をする上では便利である。また、マウスをぐるぐると机の上で動かし、ディスプレーの上でマウスポインターが動く様子なども直接示すことができる。とはいえ、学生用のモニターは通常のテレビ画面なので、今日のように解像度の高いディスプレーが一般的になってくると、その内容を提示するには解像度の面でも大きさの点でも不十分となってきている。英作文の課題としてはビデオを見せてそれに関連して書かせるというのも有効である。従来から積極的に取り入れようとしてLL教室なども利用したことがあるが、端末室との移動の時間が惜しかった。今回いろいろ調べてみると、端末室にあらかじめ用意したビデオを持ち込んで学生用テレビに出力できることもわかった。かつてはビデオを流していたはずなのだが、学部設置科目で情科センターの端末室を利用する場合、こうした機器構成に関する説明が十分行われず、使い方がわからなかった。ただし、パーティションで区切っただけの隣の教室で授業などがある可能性があるので、あまり大きな音を出すわけいもいかず、学生にとってはニュースの音声が音量的にものたりないらしい。
こうした教室としての環境設備は従来通りだが、パソコンのハードウェア、ソフトウェア、ネットワーク環境については一新され、その使い方について圧倒的に教えやすくなっただけでなく、英作文の授業本来の主旨を生かす上でもさまざまな可能性が開けてきた。(なお、24号館のパソコン教室の機器構成は、教材提示システムも含め、1996年4月にまた大きく変更されたが、これについては別稿にゆずる)
新しいパソコンは
Windows環境なので、キーボードの練習前にソフトの起動や若干の操作ができるようになる。ただし、MS-DOS と比較すると、ことばだけによる説明がかえってむずかしくなり、ビデオなどの教材提示の工夫が不可欠になる。課題提出に関しては従来のような紙やフロッピーのかわりに LANを介してファイルで提出することも可能となる。ファイルマネージャのデザインは気に入らないが、ネットワーク的にファイルを提出することが可能となり、フロッピーディスクを回収しなくて済むようになったのは便利ではある。これまで24号館の端末室を利用して授業を行う場合、
D ルームのマッキントッシュをスポットで利用して unix システムに接続する場合を除けば、電子メールとしては BITNETを利用するしかなかったが、早稲田大学全体のネットワーク環境が1994年度の秋から大きくかわり、1995年4月からAB ルームのパソコンやネットワーク構成も変わったために、AB ルームからいわゆるインターネットを利用できるようになった。ワープロと電子メールが(現在は授業でそこまで扱っていないがその気になれば
WINEも)とりあえず Windows の上で cut and paste できるようになった。ソフトウェアの改良が進み、操作性についても統一が取れるようになれば、資料の収集、編集、改訂を一連の作業として位置づけることが機械操作の上からも見通しよく扱えるようになる。つまり、グループでメールで原稿についての議論をやりとりしながら、ワープロソフトにその中身を取り込んで改訂したり、WINE で文献検索した結果をそのままレポートの参考文献リストに張り込んだりという作業ができるようになったのである。従来ももちろんこうした操作は不可能ではなかったが、電子メールを扱っているホスト計算機やワークステーションとパソコンの間でファイルのやりとりをして、文字コードの違いに気を使いつつ、複数のファイルを一つのエディタで編集しながらフォーマットを整えるという作業にとりかかる必要があった。前期の間は
MS-Worksのワープロ機能とWin/YATの電子メール機能を利用していたが、後期になって次年度の基本的なソフトウェア構成が決まり、西早稲田キャンパスのコンピュータ教室・自習室でMS-Officeが使えるようになることが明らかになってきたこともあり、MS-Wordによる英作文に切り替えた。また、夏休みに海外に出ている間に、貸与を受けたネットワークPCを使って原稿を書いて、その機能に慣れてきたために、いくつか試してみたいアイデアが湧いてきたこともある。英作文といっても、文章を書くだけに限定して考える必要はない。たとえば、論文を書けば、当然学会などで口頭発表をする可能性もある。あたらしい環境に導入された
MS-Officeはいわゆる統合ソフトなので文章作成だけでなく、 presentation の練習に利用する可能性も考えられる。MS-Word で作成した文書やメモを利用して PowerPoint で presentation の練習をすることもできる。また Word にはアウトライン表示機能もあるので、はじめから outlining の練習ができ、レポート作成などの実際の手法を教えることが可能となる。パソコン操作の授業ではなく、英作文の授業として考えた場合には、アウトライン操作のような機能をまず始めに教えることが重要であろう。実際、このとき使っていた教科書はパラグラフの構成を考える練習の一つとして、例として紹介しているパラグラフのアウトラインを作成する課題なども用意してあった。逆に、パラグラフを作成する上で、アウトラインをまず作ってから文章作成に入ること、アウトラインの編集、書式の指定などをやってみせると、学生たちも興味を持って眺めていた。単にこの授業だけでなく、レポートなどを書く上でも役に立つことがすぐにわかったのであろう。
MS-Word では、スペルチェックのほかに、類義語辞書が使えるようになる。ただ、実際の学生の学力を見てみると、和英辞典などを引きながらでないとなかなか簡単な文章すら綴れない受講生が多いことなどから考えると、和英辞典、英和辞典などをオンラインで備えて、利用できることが望ましい。簡単な構文のチェックや動詞型や文型の確認ができると面白いだろう。MS-Bookshelf のような基本的 reference がそろっている環境で英語を勉強させてみたい。
現在の最大の問題点は、役職の関係でともかく自分で自由になる時間がなく、教材を準備する時間がないことである。英作文についてさえ、1994年度の教材を今1995度の環境や学生の反応に合わせて修正して行く時間がとれなかった。また、学生が提出した作文に十分な添削をほどこす時間がなく、ハードウェアやソフトウェアの基本的操作の説明に授業時間の大部分を取られていた初めの1カ月ぐらいは非常に不満そうにしていた。(今年度登録している学生はほとんど2年生以上で、どのような授業を昨年展開していたかよく情報を集めた上で集まっているので、提出した作文が真っ赤になることを期待していたようである)6月に入って授業時間中に若干の余裕が出てきたので、学生の様子を見て回りながら、ディスプレーを見ながら修正を指示したり、キーボードを取り上げて修正を加えたりしている。
Windows や MS-Office など最新のソフトを導入すると、当然市販の教材はでそろわない。新しいソフトほど、全般には使い勝手がよくなって、新しい機能も増えていることが期待できるが、そのソフトに関する解説書などが出回るまでにはある程度の時間がかかることを考えると、果たして最新のソフトを利用するのが正解か、多少古くて枯れたソフトを利用するのが正解か、教室のソフト的環境を考える上で難しい点ではある。
とはいえ、初心者がとりあえず使い始める上での難しさは、
DOS 環境とは比較のしようもなく、一般教育科目(言語学)の授業で学生を一度端末室に連れていったが、90分の授業時間の内30分ほどが ID と password の配布で浪費されたにもかかわらず、とりあえずメールで前期の授業の感想を送るという作業にすべての学生が対応できていた。これまでワープロやパソコンに触れたこともなく、電子メールなど触ったことがないという学生が多くいたことを考えると、従来に比べてとりあえず使い始めるという段階ではかなり使いやすくなったことはあきらかである。ここではこれまで端末室を利用して英作文を指導しながら感じてきた問題点を多少とも再整理してみよう。
学生はここで展開しようとしている英文構成の方法論に関する実践的練習としての英作文の授業に興味を持っているが、実際には英語力の点でも、文章作成の訓練という点でも、パソコンのハード・ソフトの使用という点でも事前に準備すべき課題が多い。
まず、大学に入学してくる学生の大部分に英作文の基礎的練習が欠けている。中学校以来の英語学習の中で具体的な内容について英語で表現するという練習を受けている学生は例外的であって、英作文といえば和文英訳という理解しかないのが一般的である。実は、単文レベルの英文の構成もあやしく、和文英訳の練習もしていない学生が多い。従属接続詞の使い方が弱く、構文に対する意識が低い。英語に限らず、文章作成の具体的方法を訓練されていない。資料の探し方、引用や言及の仕方、文章の構成方法などの訓練を受けていない。また、英和辞典、和英辞典の上手な使い方を知らない。
自己の興味に基づいてまとまった内容を表現する訓練を受けていないというのは英語だけの問題ではない。中学、高校と、入試に向けての勉強を中心にしてきているので、問題は自分で見つけるものではなく、教師が与えるものだと誤解している。また、必ず唯一の正解があるという勘違いをしている。そのため、正解のない問題に取り組むのが苦手である。また、自分で課題を設定するという経験がないので、何でも自由にテーマを設定して文章にまとめなさいというような授業展開は不可能である。自己表現の経験がないために、とりあえず最初の授業で自己紹介をさせようとしても、途方にくれる大部分の学生と、調子に乗る一部の学生にわかれてしまう。
一般の社会生活では、文章は書き直すものであり、打ち合わせの中で修正していくものである。しかし、受講生は文章を推敲する訓練を受けていない。多くの大学生は期末や年度末に試験を受け、通るか通らないかの一発勝負だと思っている。レポートの場合も年度末に一回提出して終わりという感覚しかない。手書きで英作文を教えていたときには、返却のとき赤い指示がたくさん書き込んであると、「ああ、間違っていた、がっかり」という態度が見られ、赤い指示がないと「正解でよかった」というような表情になる。ワープロで何度も書き直すような授業を続けていくと、プリントアウトに赤い修正が入る場合でも、書いている途中に割り込んで書き直す場合でも、少しずつ英語らしい表現になり、だんだんわかりやすい文章になっていく過程が理解できる学生は、より多くの修正がある方がうれしそうな表情を示すものである。
ワープロソフトが高機能化してきた今日では、機械の使い方とその利用の仕方をあわせて教える必要がある。単純な機械操作の説明だけではアウトライン機能などわからない。実際にある程度の内容と長さを持った文章を書かせながら教える必要がある。こうした点はある意味で英語教育の領域というよりは、大学における一般教育科目や専門教育科目でも重点的に訓練すべき課題であるかもしれないが、小人数を相手に、機械の操作も含めてじっくりと教えるには英作文の授業がふさわしい面もある。
これまで情科センターの端末室で授業を行ってきたが、本来講義をほかの部屋で行って実習を行うための環境として作られているので、その場で授業を展開する設備が不十分であった。特に、語学の授業を行う教室としてデザインされていない。語学を行う環境としてどのような設備が望ましいのかについてはまたまた稿を改めて検討したい。
繰り返しになるが、多くの学生は大学に入るまで日常的に計算機やネットワークに触れる機会がなく、英作文を指導する上でパソコンや電子メールと使うといっても、まずハードやソフトの使い方の説明から始めなければいけないのも事実である。
Windows 環境になってだいぶ使い易くなってきているとはいえ、現在の計算機・ネットワークはまだまだ数値計算の道具としての計算機の伝統を根深く残している。また、計算機のハードウェアやソフトウェアの過去の歴史的経緯に依存する特殊性がいろいろな面で、一般の人間にわからない用語法や約束事となっている。ハードウェアやソフトウェアを作った人間、ハードウェアやソフトウェアに慣れた人間が書く資料やマニュアル類は、機械を中心とした説明になりがちである。機械の仕組みがどうなっているか、操作の体系がどうなっているかという概念的理解も重要であるが、個別的な操作を網羅的に説明した資料は初心者に対する操作の教育の面でもあまり役にたたない。まして、英作文という特定の目的がある以上、その教育内容にあわせた独自の教材を用意する方が機械操作の説明としてもよりわかりやすいものを作る契機となるであろう。
上記の点とは一見矛盾するように見えるかもしれないが、コンピュータ・ネットワークがどのようなものであるか、ある程度の詳細にわたって具体的に理解していることが、システムを十分に使いこなす上では必要である。英作文の授業において必要な限りの操作を説明する必要とは別に、個別のソフト・システムの操作手順ではなく、計算機、ネットワーク、ワープロ、電子メールの果たす機能についての概念的な理解を目標にした教科書が必要でる。もちろんこれは、英作文という枠の中ではなく、学部学生一般向きの情報処理入門といったような授業の中で身につけるべきことがらであろう。
英作文という主旨からもパソコンの操作を容易にするという意味からもタッチタイプの練習に十分な時間をかける必要がある。とはいえ、パソコンの授業でもなければタイプ練習の授業でもなく、年間せいぜい25回程度しか授業機会がないのであるから、授業時間中の練習時間をそれほど多くとることは適当でない。タイプ練習ソフトは自習にまかせて、ワープロソフトの説明をして、その中でホームポジションの練習をする方が合理的である。2、3回の授業でそれぞれ30分ぐらい機械操作の説明と併せてキーボード操作の練習をすると、次の授業あたりから実際に文書を打たせることが可能になる。
語学教員がコンピュータを備えた教室に入って語学の授業を行うことには、いろいろな意見があり得るだろう。まず初めに、語学の授業にコンピュータの利用を取り入れる是非について考えなければならない。筆者としても、そうでなくても少ない大学の授業時間を、一部とはいえ機械操作やキーボード練習に費やすことを適当だと考えている訳ではない。また、今後小学校、中学校、高校と大学入学以前のカリキュラムでコンピュータについて学んだ学生が順次増えてくることを想定すると、3年後や5年後に現在のような授業を続ける意味があると考えている訳ではない。またおそらく、今後ともコンピュータのハードやソフトが変わり、多少とも使いやすくなっていくことによって、機械操作の入門を大学で教える必要はますます減じて行くことは間違いない。そのときにはまたそのときで、語学の本来の目的に応じた計算機の使い方を教える必要が生じているかもしれない。今後2、3年の短い期間を考えた場合、まず第一に学生たちがかならずしも機械操作に習熟していないこと、それから第二に学生たちが機械を使うための設備が大学の中に十分ないことを考えると、授業としてコンピュータ教室を確保し、その中で語学の授業を展開していくことも、必要な試みではないかと考えている。
このように考え、語学の授業をコンピュータ教室で実施することとした場合、どこまで機械操作やキーボード操作の説明や練習に時間を割くべきかという点と、果たして語学の教員がそうした説明に適任かどうかという疑問が生じるかもしれない。しかし、筆者はこれまでの経験から語学教員こそ、文房具としての計算機の使い方の説明をするのに適当であると考えている。
まず初めに強調しなければならない点は機械操作の説明・ホームポジションの練習は重要であるが、授業の中ではそれほど時間がかからないという点である。
MS-DOSの環境でも、とりあえず当面必要な操作に絞ると30分の説明3回で機械操作の基本とキーボード操作の基礎は何とかなる。また Windows 環境に変わったことで、とりあえず使い始める段階では非常に楽になった。ともかく、初めの2回ぐらいの授業でゆっくりとマウスとキーボードの操作について説明すると、3回目には英語で文章を実際に書くという作業に入ることができる。
キーボードの練習が重要ではあるが、練習のための練習の時間を最小限に抑えても授業の進行に大きな差し障りがない。なぜなら、文章をキーボードから入力する作業が授業時間の中で大きな部分を占める英作文という授業だからである。たとえば、コンピュータの実習を考えた場合、キーボードからの文字や単語の入力は重要度としてむしろ低くなってしまう。そのため、キーボード操作についての訓練は練習のための練習となりがちであり、例えば学生にとってはまったく意味のない日本語の文章をキーボードから丸写しで入力するという奴隷労働のような課題を強制されることも多い。といって、キーボード操作に習熟しないと、簡単なコマンド入力やデータ入力によけいな手間暇がかかって、授業の進行についていけなくなるのである。
一方、英作文の授業では、実際に作文にワープロを使うようになると、ソフトの使い方も含めて3週目あたりから抵抗がぐっとなくなる。もちろん、
MS-DOS でも Windows でも、上のような簡単な説明で使い始めるので、 機械が苦手の学生はなんだかよくわからないとぶつぶつ文句をいっているのだが、それを言い出すとテープレコーダを使う程度のLL教室でも、機械が苦手の学生は後期になってもわけのわからない操作をして機械を壊したりするので、あまり気にしない覚悟が必要かもしれない。むしろ、英作文の道具と割り切って、機械を当たり前のものとして使わせることが大切である。実際、毎週定期的に端末室で実際にハードとソフトを使うことによって、学生は慣れるのである。コンピュータ実習は半年なり1年の授業で一通りの事柄を扱おうとするので個々のソフトについてはさわる程度で終わってしまって、使いこむところまでいたらない面がある。英作文など学部の授業で実際に一つのソフトを使い込むことの方が、そのソフトについても、あるいはコンピュータについても、実際の使用経験に基づいて具体的な細部までわかるという意味で理解が深まるという面がある。
1994年度の授業で
WordPerfect を扱っていたときも、時間をかけて使い方の手引きを準備したのは、操作について覚えることを最小限に留めたかったからである。授業中も、コマンドを実行するためのキー操作については覚えなくてよい、必要があれば、on-line help 機能があるので、help 機能の呼び出し方だけ覚えておけと強調していた。1995年度の授業にまた登録した学生が、DOS version の WordPerfect で多少ややこしいキー操作を必要としたコマンドが、Windows の MS-Works や MS-Word ではマウスを使っていとも簡単に扱えるのであきれていたが、具体的な操作を覚えることを強要してこなかったので、がっかりはしていなかったようである。考えてみると、コンピュータのキーボードというのは、基本的にタイプライタの文化を元に発達してきているので、その文化的背景まで含めて考えると、英語教員が教えるのが適当なのである。
例えば、日本語ワープロを教える人間にとっては、タブキーというのはプリントアウトの設定の時に項目間を移動するキーであったり、改行キーというのはかな漢字変換を確定するためのキーであったりするのだが、英語を教える立場からは、タブキーというのは
tabulation のためのキーであり、パラグラフの初めを indent するためのキーであるとか、改行キーというのは改行のためにあるという、本来の意味の説明ができる。shiftキーやspace barなどもタイプライターの仕組みを説明しないと本来の意味がわからないであろう。キーボードだけでなく、アメリカで生まれたさまざまなソフトの中にもタイプライターの文化を背景としないと本来の意味がわからないものがある。たとえば電子メールの送付先に
cc というものがあるが、これまたcarbon copyとは何かという説明から入る必要がある。qwerty 配列のホームポジションの練習も含めて、大学における勉学の基礎的道具としての文科系のための情報教育に英語教員がこれまで以上に積極的に関与してもよいと考えるのは、こうしたことも理由となっている。情報教育は一般教育・語学教育・専門教育と融合しないと実効をあげない。コンピュータの操作をただそれだけのために教えるのではなく、大学での勉学の必然的な道具として教えていくには、語学教育・専門科目教育の担当者が覚悟を決めて実習につきあっていく必要がある。勉学の基本的技能としてのコンピュータの利用方法を、少人数で時間をかけて、ユーザとしての自立を目標に教えていくとしたら、文科系における情報教育においては語学教育との統合化が重要であろう。
情報教育はコンピュータの操作の指導やコンピュータの設計の教育ではない。情報科学の専門家は、本来的には文科系のための情報教育の専門家に向かない。法文系の学生の実体、発想、興味のあり方が理解できず、練習のための練習になりがちである。一般論としては、計算機の専門家は計算機を専門としない人間がどこで混乱するか理解できない。語学教員は自分自身計算機の専門家でないだけに、学生と同じ立場でコンピュータの利用に立ち向かえるはずである。
計算機の専門家が計算機の素人の困惑を理解できないというのは、語学教員が初学者の困惑を理解できないのと類似した点があるかもしれない。端末室で英作文の授業を行い、学生たちがグループで機械や作文と悪戦苦闘している中に入り込むことで、語学教員が学生たちと同じ視点で作業に立ち向かうきっかけが得られるかもしれない。
電子メールの使い方を計算機の専門家が教える場合を考えてみよう。練習の展開としては、まず自分宛にテストメールを送る、隣の学生にテストメールを送る、授業担当者宛にテストメールを送るといったところで終わりである。場合によってはクラス単位のメーリングリストを作り、そこでメールのやりとりをすることも考えられるが、100人単位のクラスでは現実的ではない。
一方、語学教員がメールを使うことを教えるとなれば、そうした基本練習はあくまでも練習のための練習であり、海外で日本語を学習中の学生とメールによる文通を試みるというような作業を必ず取り入れたくなるはずである。どちらが学生にとって電子メールというものの意義を明らかに示すかは言うまでもない。
一つのエピソードを紹介しよう。
BITNET の使い方を説明し、自分宛にテストメールを送り、クラスの間でメールを交換しといった練習を重ね、筆者に作文を送り、筆者が添削して返すなどの練習を重ねたのち、アメリカで日本語を勉強中の学生数人を紹介してもらってアドレスを学生たちに知らせた。学生によっては、さっそく自己紹介のメールを書き始め、送ってしまうのだが、なんだかぐずぐずしている学生がいる。BITNETの使い方がわからなくなったのかと思ってのぞき込むと、そういうわけではない。「メールを送ると返事が来て、そうすると返事をしなければいけなくなるから」といって思い悩んでためらっているのであった。どうも、機械操作の説明をする立場になると、できるだけわかりやすく、てっとり早く、短い時間で試せる練習をさせようという気持ちが強くなって、こういう素直なコミュニケーションに対するおそれを忘れてしまいがちであることを反省した次第である。ネットワークの向こうには、異文化の「人間」がいる。この状況を最大限有効に利用できるのは、計算機の専門家ではなく、コミュニケーション教育の担当者としての語学教員であるはずである。アメリカの大学生との電子メールによる文通の経験に、学生たちは生身の人間からの応答に素直に喜んでいた。電子メールが教育の現場に外国語を使用する必然性をもたらす可能性とともに、語学教育の意義とあり方が、デジタルネットワークによってまったく変わっていくこともありえるだろう。
英作文そのものについても、もちろん端末室を利用することがいろいろな面で有効に働いている。
手書きの場合、200語の作文というとルーズリーフで裏表書いて足りないぐらいなので、初めて英作文に取り組む学生にとっては非常に長くて収拾がつかない感じになる。ワープロを利用すると、キーボードになれてしまえば30分もあればとりあえず1画面ぐらい書けるようになるので、200語や300語の作文をこなすことが苦痛でなくなる。また、細部を次第に書き込むことでもっと長い作文を書くことも可能となってくる。
なんと言ってもできあがった作文が読み易いということから、添削し易いというのが最大の利点である。また、学生の方としても修正が簡単であるから、
繰り返し添削して書き直しさせられるというのは、英作文の指導上意味が大きい。手書きの場合では、書き直しについては短いものでも2回が臨界点で、それ以上繰り返して書き直させようとしてもうまくいかない。自分が書いた作文に赤で添削されるということについても、書き直しという作業を命じられることにも懲罰的な印象が強い。学生の側も、ワープロの場合は何度も書き直させられてもそれほど不平を感じなかったようである。むしろ、せっかく書いたものを提出しても、忙しくてあまり赤を入れられなかったときなど非常に不満そうにしていた。これは、従来の作文の返却の時とまったく違った態度である。ワープロで作文というと、本人が書いたかどうかわからないなどという意見が出るが、年に一度だけレポートを提出させておしまいという手抜きをするならともかく、学生が書いている場に立ち会って場合によってはキーボードをひったくって修正してやるなどという作業をしたり、そこまでしなくても毎週書かせては書き直させるという作業を行えば、誰が書いたかは頭にはいってしまう。実際に書いているところを見ていなくても、英語のでき具合、使える語彙のレベル、文章構成の程度から、1年間指導してきてだれが書いたかわからないようなら、英作文の指導は不可能である。
英作文の授業であるからには、あれこれのソフトの使い方を一通り覚えるよりは、ワープロと電子メールなどを毎週繰り返して使うことになる。従って、ソフトの機能を通り一遍に教える必要はなく、それぞれの授業展開に応じて必要な機能について紹介することができる。たとえば、
BITNET で返信をする場合、自分宛に来たメールを引用する場合には REPLY TEXT とコマンド入力し、引用が必要ない場合は単に REPLY とコマンド入力するのだが、メールを送信することと返信することの違いもまだぴんとこない初心者にあまりあれもこれもと説明しても消化不良になるばかりである。しかし、毎週宿題をメールで提出させて添削して返却し、また、毎週授業時間にアメリカの学生と文通させていると、メールを書いているときに学生の方から「この向こうから送ってきているメールについて引用しながら返事を書きたいんですけど」というような質問が出てきた。これこそまさに good question である。機械操作を機械操作のために説明してしまうと、通りいっぺんの説明を次々と聞かされて消化不良になるが、具体的な課題をこなす中でこれこれの作業をするためにはどのような機能を使えばよいか、そのための操作は何かという形で機械の操作に習熟していくことが理想的である。個々の
mail handler でどのような操作をするとこうした機能を使うことが出来るかというのは、必要があればマニュアルをひっくりかえすなり、人に聞くなりしてわかれば済むことであって、重要なのはメールのやりとりの中で相手の書いた文章を引用することがあること、また mail handler にそうした機能が備わっていることを体験として心の片隅のとどめることである。英語の授業の中で電子メールの扱いを教えるということは、機械操作を教えることが目的ではなく、電子メールのやりとりという文化を教えることが目的である。1994年度の受講生が1995年の春になってあらたに
mn システムのアカウントを取得して電子メールを使いたいというので、まだわかりやすいマニュアルが出来ていないよと伝えたのだが、昨年度の授業で電子メールの使い方はわかったから、あとの操作は自分で試してみますと答えていた。システム固有の制約やシステム固有の操作ではなく、概念や文化を教えることが、コンピュータやネットワークのように短い日時の内に激しい変化を遂げていく対象については重要であろう。学生がハードやソフトを自分たちで使えるようになれば、教師が端末室に入る必要はなくなる。それは遠い将来のことではなく、あと3年とか5年で起こることかも知れないが、それまでは語学教員が端末室に入って、学生たちと一緒に機械を相手に悪戦苦闘するのも、教育的に意義のあることかもしれないと思っている。
語学教育と情報教育はその目的も方法も共通の部分が多い。いずれもコミュニケーションの方法を修得することが本質であり、大部分の学生にとっては本来の専門科目に関わる学習の手段であるに過ぎない。
英作文の練習のための英作文は不毛であり、コンピュータ操作の練習のためのコンピュータ操作は不毛である。われわれが行おうとしているのはコミュニケーションの訓練であり、そのための教育課程、教育方法、教育環境を整備していかなければならない。そして明確な教育課程を確立するためには、何のために英語教育を行うのか、何を目的として情報教育を行うのかを明らかにしなければならない。
[1]
「『語学の情報教育』ネットワーク時代の英文作法をめざして」, 1994 年 6 月 27 日, 社団法人情報教育協会発行, 私情協ジャーナル Summer '94, Vol. 3, No. 1, (通巻 66 号), pp. 20-21, ISSN 0981-4376.[2]
「文法的機械 (番外編その1)外国語教育の現代化 --- 語学教育と情報教育の統合化をめざして --- または --- 計算機環境を利用した英文作法指導の試みに関する極めて私的な報告 ---」, 早稲田大学法学会, 人文論集 No.33, pp. 89-101, 1995-2-14[3]
「デジタル・ネットワーク社会のマルチメディア・リテラシーへ」,大学生協連合会,PCカンファランス準備委員会,PCカンファランス予稿集,pp.6-11, 1996 年 7 月 7 日.[4]
「メディアと文科系教育」, 大学電気教官協議会(幹事大学金沢大学),平成8年度電大学気工学教育研究集会分科会予稿集, pp.43-50, 1996 年 7 月 18 日.[5]
「早稲田大学の情報教育の現状と課題:---あるいは(5万人の学生に対する)情報(倫理)教育は可能か---」 明治大学情報科学センター, 1996 年 8 月7日, 情報科学センター年報,No.8 , pp.80-84..